新年早々に新しい国語辞典が登場する。
10年ぶりに改訂の『広辞苑』第6版(岩波書店)である。
発売日の11日に、どんな広告が新聞に載るのか、ちょっと気になる。
私たちは、第5版が発売されたときの新聞広告を覚えている。あらたに収録された新語が、びっしりと小さな文字で印刷され、その上に大きな文字が3行並んでいた。
「私が/21世紀の/日本語です」
この広告を見て英文学者の柳瀬尚紀は、違和感を抱いた。辞書のイメージが崩され、新版への期待をはぐらかされたような気がしたというのである。「電化製品か車かデジタルカメラの宣伝のようだ」
著書『広辞苑を読む』(文春新書)で、苦言を呈した。
このとき、数えたところ、新項目のじつに3分の1はカタカナ語であった。
柳瀬といえば、ジョイス作品の名訳で知られる。英語通で辞書通の達人をもってしても、ついに嘆きの声が出た。
「カタカナ語が氾濫し、とてもついていけない」
いいかえるならば『広辞苑』は、それほど信頼されてきた。1955年に第1版が発刊されてから半世紀を超える。いま読者数は1100万人にのぼる。
第3版の時代に、作家の丸谷才一は『90年代ジャーナリズム大批判』(青土社)でとりあげた。他の国語辞典と比較して高く評価した。
「この辞書がなかったら、戦後の日本社会はずいぶん違っていたろうと思う」
国語辞典と百科事典を兼ねていて重宝である。あまり大きくないので便利に使いやすい。戦後の日本人の言語能力を高めるのに、大いに貢献したに違いない。
長い間、ビール業界におけるトップ銘柄よりも高いシェアを誇っていた。そのうち現代語を中心にして『大辞林』(三省堂)や『日本語大辞典』(講談社)が出た。
「寡占状態をいいことに、大掛りな増補、改版を怠っていた」
辞書は「引く」だけのものではない。入念に「読む」ものでもある。さらにすすんで、自分だけの辞書を「作る」こともできる。
作家の井上ひさしは、かって愛用する『広辞苑』第2版補訂版の机上版の余白部分に書き込みをした。他の辞典でみつけた用語例や新聞・雑誌の抜粋などをせっせと書き加えていった。
こうして独自の“増補”は、1500項目以上にのぼった。いわば『私家版・広辞苑』ができあがった。世界にたった1冊しかない辞書である。
「これは、わたしの脳味噌みたいなものである」
書物をめぐるエッセイ『本の枕草紙』(文藝春秋)で、井上は語っていた。その後、持ち運びに手軽な『岩波国語辞典』にも書き込みをして“辞書作り”に励んだ。
さて『広辞苑』の第6版を待ちながら、私は考えをめぐらせる。新版を手にしたとき、まずどこから“読む”ことにしょうか。
掃いて捨てるほど多いカタカナ語よりも、私が楽しみにするのは「六甲颪(おろし)」である。これまで収録されていなかったのが、むしろおかしい。
カナダのブリティッシュ・コロンビア大学教授のサラ・D・ビュクナー女史は、他日、甲子園球場を訪れて熱心に語った。
「あの応援歌は、すばらしい曲です」
貴重な国際的評価といえよう。「わたしの広辞苑」にぜひ書き込みたくなる。
広辞苑は、誰もが知っているが、よく使用している人はどのくらいいるでしょうか?分からない単語を調べるときは一番良い辞書ですね。
今回発売する改訂版は、どの言葉が載っているでしょうか。